株式会社広瀬塗装店

社長あいさつ~広瀬塗装店社長・廣瀬剛の思い~

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社長メッセージ

社長・廣瀬剛からのメッセージ

代表取締役社長 廣瀬剛の自己紹介と当社の思い

はじめまして、広瀬塗装店の廣瀬 剛(ひろせ つよし)です。

 当社では、『お客様に喜んでいただける塗装工事を提供する』ことを目標に活動しております。
 この業界にはまだまだ「契約さえできたらOK」で品質は「?」の会社や、「お客様の顔色を見て価格を変える」などの会社が存在し、残念ながらそのような会社に多くのお客様が集まっているのが現状です。

 このような状況を変えるために、正しく、分かりやすく、うさんくさくなくやり抜きたいと考えいます。

 その思いを貫くための当社の思いと私の自己紹介をします。

 少し長くなります読んでいただき、私、廣瀬剛のこと、広瀬塗装店のことを少しでも知っていただけるとうれしいです。

生まれは北九州市

 1968年福岡県北九州市で生まれ、両親と強い姉に守られて育ちました。

 小さい頃は近所の子どもたちと廃車置き場のトラックの荷台で学校ごっこをやったり、道路にチョークで絵を書きケンパー(ケンケンしながらある場所で足を広げるような遊び)したり、花見や月見など楽しい思い出がいっぱいあります。

 また、近所のおいちゃん(おじさん)が家でプロレスが見られないので我が家に見に来たりと、今の生活とちょっと(かなり?)違いましたがすごく楽しかったことを覚えています。

スポーツが大好きだった少年時代

私の人生を大きく変えた野球との出会い

 幼稚園の頃は姉とYMCA体操教室に通い、小学校1年生から水泳教室と幼少期から運動をしていました。

 小学校3年生の時、母が外で洗濯物を干していると近所の友達が野球のユニフォームを着て家の前を通りかかりました。母が話を聞くと私が通う南ヶ丘小学校に少年野球チームがあるとのこと。即、「剛も入りなさい」と母に言われ野球を始めることになりました。

 母から言われるがまま行動をするとても素直な少年でした(笑)あっ、今も素直ですよ(笑)
 小学校6年生の時、市の大会で優勝するなど、「南ヶ丘少年クラブ」は強いチームでした。私はあまり活躍していませんが、サヨナラスクイズやホームランを打ったことなどは印象的に覚えています。

 (今、娘がギターを弾きながら唄を歌っています。たまに、「バント(音楽バンド)の練習行ってくるわ」と聞くと、ついつい野球のバントが頭をよぎります。ちなみに、娘も少年野球チームに入っていました!)

中学生~高校生時代

 人生の大きな分岐点 ― 尼崎市へ引っ越し、野球強豪高校への入学

 中学では野球部がなくバスケットボール部に入りました。バスケも楽しかったですね。
 あと、中学生時代は魚釣りもよくしていました。海に潜ってモリでついたりもしました。今、テレビのバラエティ番組でやっていますよね。
「とったど~」って。あんな感じでやっていました。
 今思うと、体を動かし自然と遊ぶ。素晴らしい環境だったと思います。

 そんな楽しかった北九州市での生活でしたが、中学3年生の時に父の転勤で尼崎市へ引っ越し。
 この引っ越しも私の人生で大きな分岐点となりました。

 引っ越しした場所により、高校は市立尼崎高等学校へ。そして硬式野球部に入部しました。
 1カ月で体重が12kg減り、私にとっては過酷な練習でした。残念ながら甲子園には行けませんでしたが、よき思い出となりました。

  高校卒業後に野球を通じて就職をすることになり、尼崎市の神東塗料株式会社に入社することになりました。
  神東塗料では大阪営業部に配属され塗料業界へのデビューとなりました。

  営業部に配属されなければ、塗装店を開業することもなく、こうして皆さんにお会いすることもなかったことでしょう。

塗料メーカー時代

新入社員時代の先輩からの教えは今でも財産

 営業部ではY先輩についてご指導を受けました。
 Y先輩より「あんた、野球で会社に入ったかもしれんけど、会社は野球をすることろではなく仕事をするところやから」と言われたことを鮮明に覚えております。
 また、「知識もない新入社員がなんでそんな小さい鞄なん、鞄には自分の知識(資料)を入れておく」「新商品は私もあなたも初めて聞く商品。同じ知識があって当たり前」など、厳しくも優しく丁寧に教えていただいたことが今でも財産となっています。

 起業のきっかけとなった東京での出来事

 21歳の時、東京に転勤となりました。見るものすべてが新鮮で刺激を受けました。

 東京では主に販売店ルート営業、羽田沖展工事(羽田空港沖合展開工事)やマンション改修工事などを担当していました。マンション改修工事では住民向けの塗装仕様や使用塗料の説明会の担当もしていました。
 その説明会の中で年金暮らしの方から出た意見、「今回の工事費は払えるけれど次回は払えるか分からない」。高額な修繕費用 ― 高齢の年金暮らしの方から出た落胆の言葉に胸が痛みました。

 中間マージンが減れば価格が下がるのではないか?そうすることにより住民の方の負担が減るのではないか?という思いが沸々と湧いてきました。
 (日本の大規模な建築工事は今現在も元請→2次下請け→3次下請け→4次下請け、と中間マージンが発生する形態が多いのが現状です。)

 お客様が工事費100万円を払っても、中間マージンが多い場合、実際に現場では一体何万円で工事をしているのか?という疑問が。

 

 疑問を抱いたのは費用のことだけではありません。

 マンション改修の工事中に、施工業者からのクレームが多々ありました。クレームの内容は塗料と仕上がりに関するもの。原因は、その時代に使用されていた2液型強溶剤塗料がきっちり混合されていない、塗料メーカーの塗料仕様書通りに施工しない、特に塗付量が少ない=使用缶数が少ないなどで、いずれも製品そのものの問題ではなく、施工業者側の施工技術、工事に対しての誠実さの度合いが原因となるものがほとんどでした。
 当時、工事現場の材料置き場に行っても塗料を測量するハカリもなく、目検討で調合するよう職人も多かったです。

 (目検討で適当に調合するのではなく、きちんとハカリを使って、メーカーの仕様書通りに調合するのが本来のやり方です。)

 このように、工事価格や施工技術に対する考えが私の思いと大きく違ったため自分での起業を決意、2000年に広瀬塗装店を開業しました。

広瀬塗装店を開業

とても厳しい現実が ― 理想と現実の狭間で…

 塗料メーカーを辞めた時は東京勤務でしたが兵庫県に戻り、広瀬塗装店を開業したのが現在自宅と事務所を構えている神戸市北区鹿の子台でした。

当時から一般戸建て住宅の塗り替え工事をメインにやっていこうと思っていました。
とにかく丁寧に、時間がかかっても良いものをと考えていました。しかし、それを形にすると価格が高くなる。「価格が高くなっても良いものを」という理念は、市場には受け入れられにくいことです。理想と現実には大きな違いがありました。

 塗料メーカー時代の大半は東京で過ごし、開業したのも兵庫県といえど神戸市北区は初めて住む地。独立当初は、神戸市北区では仕事もコネもなく、大変な時期が続きました。生活をするためにアルバイトもしましたし、あと、1カ月仕事がなければハローワークに行こうと思った時も1度や2度ではありません。

下請け時代

 塗料メーカー時代の恩師の紹介で、全国区の塗装工事会社の下請けをするようになりました。この間約10年間で、様々な経験をしました。

職人によって仕上がりが全く違う。営業担当者も十人十色。感じたのは「この営業会社の工事は職人によって当たりとはずれがある」ということ。
他の職人が施工をした現場の手直しをしたこともあります。塗料を塗っているだけで誰が見ても仕上がっていない現場、塗装後数年での塗膜剥離等々。他人の仕事を見る機会が多々あり、良い観察が出来たと思っております。

 あまりにひどい仕事を見ると「こんな仕上がりにお金を払っている人がかわいそうだな」と感じたり、高額金額で契約したことを聞くと「足元を見て金額を提示しているのでは」と思ったり、他にも様々な疑問が膨らみ始めました。

 お客様から聞いた営業担当者のセールストークも耳を疑うものでした。「この塗料は半永久持つ」や「高圧洗浄をすればどんな汚れもピカピカになる」等々。当然お客様は営業スタッフの言葉を信じて契約をしています。あるお客様のお家で高圧洗浄をした際、お客様より「何で汚れが落ちないのか!」と仕事を疑われ、翌日にお客様の目の前で再度高圧洗浄をして落ちないことを証明して納得していただいたこともあります。

 「うちで工事をすればこんなことないのに」と思うばかりの毎日でした…

 

神戸市北区、三田市近郊のエリアでも、塗装会社による塗料の性能トークは今でもあるので皆さんご注意ください!

少しずつ元請工事が増え出した

 そんな中、地域の情報紙『たうんらいふ』に塗装についての記事を載せてみませんか、と案内がありました。最初は塗料メーカー時代の知識を生かし記事を書き始めました。当初は反応がありませんでしたが、時間が経つにつれ記事を読んだお客様から問い合わせが増えていきました。記事を書き続けて、2025年2月号でなんと107回!今も投稿していますので、機会があればぜひご覧ください。

過去の記事はこちらから見られます。

 また、元請工事60万円~(当時は一人でやっていたから出来た価格です!)のチラシを作成し、適正価格での工事と塗装仕様書に基づいた工事で、お客様に安心して喜んでもらえる工事を提供することが実現できました。

 このチラシで大きな前進はなかったですが、このように色々と自分で戦略を考え行動することは楽しいですね♪

ビジョン

廣瀬の考え、目指していることとは?

 塗装工事は一生のうちに何度もするものではありません。そのために、一般の方にはわかりにくく何が正解か難しいものです。

 塗料は適切な量を塗って乾燥して初めて製品となります。決められた約束をしっかりと守りながら正しく塗料を塗っていくことは難しい事ではありません。その理由として一級塗装技能士試験の内容は毎年ほぼ同じです。練習さえすれば合格することが出来ます。
 どの仕事でも共通して言えることですが、どうすればもっといい仕事ができるのかを考えて実行しているかによります。あとは仕上げ技術の問題。個々により異なりますので苦戦することもありますが、第三者に管理してもらうなどの方法により仕上げ技術の向上を図りたいと考えています。

 できれば、廣瀬の分身を何人も作りたいと思います。

 価格についても、塗装工事の場合は不透明で分かりにくいと言われています。
 広瀬塗装店でもお客様に安心してもらうために、色々と考えてお見積書を出しています。
 塗装工事の価格の中には、足場代・材料費(塗料等)・人件費の他にもちろん会社の利益も入っています。そのほかには事務所の家賃や広告宣伝費などがあります。テレビCMや過剰な広告宣伝をすれば知名度をあげることはできますが、コストも上がってしまいます。また、フランチャイズ店のように何かしらの団体に加盟するとその費用かかり、どんどん塗装工事の価格が高くなっていきます。

 工事価格は大切なものですし、もちろん安い方が好まれることもしっています。ただ、品質などを守るためには最低限の費用は必要となります。

 すべてのバランスを保ちながら価格設定することを目標に、無駄な費用は省き実勢価格でのご提供をさせていただきます。

 地域密着で塗装工事をしておりますので、正しいことをやり、安心してもらいたいと思っております。

 将来、この地域で塗装工事の失敗「ゼロ」になることを目指し頑張っていきたいと思います。

オンもオフも地域密着で

 仕事でもプライベートでも地域の皆さんに喜んでいただける活動を

 小学校3年生の時に出会った野球ですが、実は今も野球は私の生活から切り離すことはできません。

 2006年に地元少年野球チーム誕生とともにお手伝いをはじめ、気が付けば少年野球に人生の1/3も関わっています。(入部お待ちしています♪)

 子どもたちと野球をしていると楽しく、日に日に上手になっていくのでうれしい気持ちでいっぱいになります。
 以前は「このチームからプロ野球選手を!!」と思っていましたが、今は子どもたちには社会に出てから自分の意見をはっきりと言える社会人になってほしいですね。

 仕事では、『地域密着塗装店』をうたっていますので、地域の方に塗装工事で喜んでもらいたいですね。

 大きなことはできませんが、お客様が安心してこの人に頼んで良かった」と言っていただけるような仕事がしたいです。

 そのためにやることはいっぱいありますが、一歩一歩進んでいきたいと思います。


ひろせ つよし の一問一答

もう少しだけ掘り下げて廣瀬のことをお伝えします。

初めて塗装工事をしたのはいつ?

初めての塗装工事は、1999年横浜市の知人宅での外壁塗装。

金属サイディングをローラーで塗った時に、「面白い♪」と思いました。

理想の職人像とは?

細かい所に気が付く職人!
 塗装職人の仕事はただ単に塗るだけではありません。ひびやコーキングの劣化、ここは塗った方が良い等、細部まで目を配らせ、劣化の原因とどのような補修や塗り方をすれば今後同じ不具合が起こらないかも考えながら仕事を進める必要があります。

 また、塗ったところがキレイになるのは当たり前だが、それ以外の場所、例えば窓ガラスや手摺、玄関扉、足場が設置してあった地面などもキレイにしてお客様に引き渡したいと思っています。

 私の理想の職人像の考えが、広瀬塗装店の職人たち全員に浸透するよう日々伝えています。広瀬塗装店クオリティでお客様に喜んでいただける塗装工事を提供したいと思っています。

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